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キムおじさんは 僕の 生まれ育った街の歌です

 どこにでもある 昭和の 商店街 公設市場 長屋 路地を歌っていますが 

 

 僕の生まれ育った町で 他の町と一つだけ 違う点は

日本で一番 在日韓国・朝鮮人が多く、 

僕の小学校・中学校 は日本一 在日が多かった 公立の学校でした。

 教室の後ろの生徒の名前が書いてある壁には

 安(アン) 韓(カン) 金(キン) 高(コウ)など様々の韓国・朝鮮の名字が並び

 たまに 日本の名字があり

 ぼくは 梁(りょう)と言う名字で中学校までは通っていました。

  高校から 親の言いつけで 良元という通名で通い

  それ以来 良元です。

 

親父は高校にいったら 差別があるので 通名で 学校にいけ とのことでした。 

 

前述の通り僕の生まれ育った街「生野区」は 日本で一番「在日」の多い街です。

 ロバート・キャンベルが アメリカの貧困層のまちに住んでいたころ、

 自分が貧困だということに 気づかなったという話がありますが、生野区にすんでいると 

自分が在日韓国人だということを意識することは全くありません。

マイノリティだと思った事がなく

 実際 小学校の4年くらいまで、日本には在日のほうが多いと 勘違いしていました。

 ものすごい勘違いです。

 

 韓国読みでは 「ヤン」といいますが

 海外に行く以外は 使ったことがありません。

 

生野区は済州島出身がとても多いです。僕も済州島出身になります。

済州島は日本の沖縄みたいに 本島から離れた島です。

 父も、母も日本で生まれている 在日2世で 朝鮮語はほとんど

 話せませんし、僕は全く話せません。 

 

また在日韓国・朝鮮人には選挙権はありません。ツアーでライブをする時

 キムおじさんを歌う前に 選挙権のないおっちゃんの歌です と

  軽いジョークのつもりで前置きして歌うことがありましたが、

  全く ? で この人(僕)は何をいってるのだろう?という感じでした。

 在日に選挙権がないということを知らない人がほとんどなのだと言う事も 

 僕は生野区で生まれ育ったから知りませんでした。

 

 

当時の生野区は

 家内制工業がさかんで 狭い路地の家々で がっちゃん がっちゃんと毎日

 圧着機と言う 機械で女性用のサンダルを作っている音やミシンの音が日常でした。

 

 

女性用のサンダル(歌詞ではスリッパにしています)はヘップと呼ばれ、

生野区は ヘップ産業と呼ばれるものが盛んで、大人になってから知った話ですが

オードリー・ヘップバーンが映画で履いてたものが流行しヘップ産業が盛んになったということです

ヘップバーンが履いていたサンダル → ヘップ 

 

キムおじさんに出てくる おじさんは まさしくその "ヘップ"を 町工場に持って行く人でした。

 

 昔は空地 がたくさんあって、公園で遊ぶ事も多かったですが、空地でもよく遊びました。

お店で買うと100円するゴムボールも 町のゴム工場に行くと 失敗して 商品にならないゴムボールを 20円くらいで売ってくれたりしました。

これも持っていけと、2から3個くれる優しいおっちゃん達でした。

 野良猫もたくさんいたし、野良犬もいた覚えもあります。

  

  

 

父と母はどうか知らないですが、僕は韓国を祖国だと思ったことはありません。

 

 2021年 僕は日本国籍を取得しました。多くの友達は、多分、国籍変更(帰化)に抵抗はあまり無いように思います。日本人がひとりひとり違うように、在日も当たり前ですがひとりひとり違うので、多分です。

 ある時 日本の友達(日本の友達という言い方は変ですが、、)に在日は自分の国を愛してるから帰化しないんだろう?と言われたことがあります。 そして区役所に紙一枚だせば 簡単に帰化できると思っていたようです。 しかし 国籍変更は狭き門です。

  手続きはかなり時間がかかります。書類も何十枚、時には百枚と作成しなければなりません。 

 

  長くなりましたが、

  

     僕が生まれ育った街が、たまたま 在日が多かっただけで、

 僕がたまたま在日3世としてうまれただけで、キムおじさんになりましたが 

 どこの町にでもあるような風景だと思います。 

 田中おじさんでも 鈴木おじさんでも

 何某おじさんでも 聞いてくれた方の住んでた街の思い出に重なったら幸いです。

  

 

10月31日の衆議院選挙は 生まれて初めて投票に行きます。

 

   とても楽しみです。奇麗な恰好をして、

 

   家族みんなで投票に行って、帰りにサイゼリヤでも行こうと思っています。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。 

2021年10月20日

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